環日本海時代

 福井県は「環日本海時代」を提唱した県だ。30年前の話である。敦賀の大和田財閥が大陸からの牛の輸入で金を儲けというとだと聞いたことがある。その提言に応じて、当時の渡辺副知事が内蒙古に県の視察を出したという話は、事実のようである。当然、敦賀には検疫所もあった。環日本海の真ん中が福井で、敦賀港を活性化すべき、との声が県議会でもあがった。しかし、その後、話は一向に進まず、金沢港に後れをとる羽目となった。新幹線工事で残土が出たことで、敦賀港の整備が今、ようやく本格的に動き始めた。平成16年の一般質問、全中国との貿易量がアメリカのそれを超えた今、本格的に中国と関係を強化すべきと私は提言して、県は上海ビジネスサポートセンターを開設した。ところが、尖閣問題が発生して中国の関係は悪化した。

 トランプ大統領が就任して米朝会談の話が浮上した。遅かれ早かれ、日本海時代がやって来ると感じる。この際、首都を金沢にしても良いのでは、と冗談と本音ともいえる会話が飛び交う。北陸は表の中心になる。東南海地震のことも考え合わせれば、日本海側にシフトすると読む。新幹線が来くる今が絶好の機会である。環日本海時代に向けた戦略会議を、あらゆる知見を得て取り組むべきだ。誕生寺の托鉢の折に板橋貫主が書いたチラシを保存している。そこには「歳老いて体力は衰えて頭脳の働きも衰弱して来ている。世間の出来事にも関心が薄れているが、ものごとを大局的に判断する能力が鮮明になってきている云々。そのうちに、田舎や過疎地が見直される時が、必ず来るでしょう。日本海がもっともっと活発な内海に発展するに違いありません」。平成25年新春の辞。以前、私が日中関係のあいさつで使ったことがある。よく似た考えだ。

 福井空港拡張反対する中で小松空港を国際空港にするべきで、その代償として、福井は港を頂こうと考えた。上海〜小松便の誘致に中国に行った。台湾便の就航の時は、福井からは誰も行かなかったが、私は行くべきと判断、時の議長として一人で乗り込んでテープカットさせてもらった記憶がある。石川県の皆さんに喜んでもらった記憶がある。新幹線問題で揺れる中、ある国会議員に空港を出せば必ず譲歩するからと申し上げた。現在、小松空港国際化議連が発足している。“首都”の国際空港である。新幹線も8号線の拡張も環日本海時代を頭に入れながら攻めていけばよい。環日本海時代を想定して北陸新時代の構想を築けばよい。

 米朝会談は遅かれ早かれ実現する。21世紀は15年遅れてやってきた。このままでは地球が持たないことはわかっている。繊維から派生する北陸の技術力は高い。伝統工芸の技術力・古来から持つ農業文化。食料とエネルギーを支えてきたのは地方である。地方は今こそ、反撃を開始しなければならない。環日本海構想ほど時宜を得たものはない。

金龍

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