大飯3.4号機の再稼働と東京オリンピック
2011年3月11日の東北大震災の津波により、福島第一発電所は壊滅的な打撃を受けた。定期検査入りした原発が再稼働しない状況となり、国内のすべての原子力発電所が停止した。当時はストレス・テストなどによって、再稼働できると感じていたが、再稼働は極めて厳しい状況に陥る。議長として新幹線の延伸と原発の再稼働の難題を抱えた。2012年の2月議会の冒頭、西川知事が訪ねてきて「原発どうしましょう?」と尋ねられたので、「野田総理が赤カーテンの前でしゃべったら」と示唆した。野田は5月に青カーテンの前で消費税増税を語る。関連で原発に質問がおよぶが青カーテンの前だ。
「食料とエネルギーは国の根幹」と読売新聞の取材に答え、反対派にはすべて拒まずに対応した。山本太郎との面会も拒否しなかったが、彼が約束を違えたので面会を拒否した。6月議会前の県立大学の20周年記念式典で知事と同席したので「野田はしゃべるのか?」と尋ねたら、知事は「必ずしゃべります」と答えた。6月議会前の6月8日に野田総理が赤カーテンの前で大飯3.4号機の再稼働について記者会見する。もし、記者会見がなければ、6月議会で決着することを覚悟していた。
当時のエネルギー需給は厳しいもので、関西電力管内で445万KWが不足する見込みで計画停電の準備が進められていた。大飯3.4号機の再稼働によって、揚水発電と合わせて356万KWが確保され、電力需給は厳しい状況ではあるが安定する。この再稼働がなければ冬場の電力需要も厳しく常に計画停電を念頭におかなければならない状況にあったであろう。
12月2日に解散総選挙が行われ、自民党が政権を取り戻し、安倍晋三の第2次内閣が12月26日に発足した。翌年の1月にはIOC(国際オリンピック委員会)に立候補ファイルが提出されている。7年経った今でも福島の問題を国際社会は懸念している。当時、計画停電がなされていた日本がアンダーコントロールと言う表現を国際社会に対してできたであろうか? 東京オリンピックの招致は大飯3.4号機の再稼働がなければできなかったと断言する。後日談になるが、関西電力さえ大飯3.4号機の再稼働がなるとは思っていない節がある。
民主党政権から自民党政権に変わる中でこの経緯は受け継がれていない。当時は自民党議員は今の野党より存在感がなかった。政権に返り咲いたのは地方議会の自民党がしっかり根を張っていたからである。もうそのことはすっかり国会議員の頭から消え去っている。東京オリンピックによって国の経済は支えられている。その少しの果実を福井県が少し要求しても罰は当たらない。
金龍
10:47 田中良幸 行き詰まる原子力行政を鑑みて
2018. 12. 25
日本政府が主導してきた大型原子力発電所の海外への輸出はすべて白紙となり、大型原子炉の建設は無くなった。今日まで世界をリードしてきた三菱・東芝・日立の原子力御三家の技術力は低下する。日本の技術はやがて中国・ロシアの後塵を拝することになる。大型原子力発電所を海外に輸出するという我が国の国際経済戦略は目論見が外れて、修正を余儀なくされる。
我が国が国是としてきた核燃料サイクルは「もんじゅ」が廃炉になり、青森県六ケ所村の再処理施設の稼働もままならない。たとえ、六ケ所の工場が稼働したとしても世界の情勢変化の中でプルト二ウムの管理は厳しくチエックされることになる。さらに ウランとMOX燃料の経済性も疑われる。そうとなれば、六ケ所の再処理施設を動かす理由が見当たらなくなり、核燃料サイクルは断念せざるをえない。投下してきた膨大な投資が負債になる。
パリ協定を守るために資源小国である我が国は再生エネルギーの拡大に取り組まなければならないが、原子炉発電所から発生する使用済み燃料の問題は残る。SMRなどの小型原子炉の開発に乗り出すにしても、軽水炉の技術延長では使用済み燃料の課題を克服することはできない。
服部禎雄氏がUSパテントを持つ小型原子炉は乾式処理・金属燃料を使用する高速炉であり、安全炉であり、負荷追従という観点では原子力電池である。そして、何よりもアメリカのEBR-2 ですでに実証された技術であることに意味がある。溶融塩炉などさまざまな技術はあるが、世界の方が先行していて我が国がトップランナーにはなりえない。
奇跡的に乾式再処理・金属燃料という技術は日本に移転され、「もんじゅ」開発の陰で副概念として眠ってきた。食料とエネルギーは国の根幹。この技術こそ、我が国のエネルギー問題を克服し、国際経済戦略を担うことのできる技術である。将来の日本の浮沈を左右する技術と言っても過言ではない。国家プロジェクトの位置付の下、速やかに推し進めるべきものだ。来年度予算案に調査費が計上されたことは実に喜ばしい(下図)。服部氏は85歳。技術は人と共にある。
金龍